この胸に宿る感情よ。
今だけは、静かに―――……
この胸に宿る感情よちょっと…いや。これは、かなり無防備ではないだろうか?
すやすやと、気持ちよさそうに宿屋の椅子に座って寝息を立てている仲間を見つけたバッツは、困ったかのように眉を寄せた。
如何するべきだろう。
気持ちよさそうに眠っている少女――レナ。
あまりにもよく眠っているので、起こすのも何だか気が引ける。だからと言って、抱き上げて運ぼうとすれば、起きてしまうだろう。
ガリガリと、後ろ頭を乱暴に掻く。ただでさえ癖のある無造作な髪が、さらに酷い事になってしまっているが、今それを気にしている暇はなさそうだ。
閉じられている瞳。規則正しい呼吸。
あまりに安らかに眠っているものだから、どこかで聞いた事がある物語の姫ようだ…と、そんな事をバッツはぼんやりと頭の奥底で思ってしまった。
「(うーん。眠れる王女様…あぁ、レナの場合は本物…か)」
一瞬だけ掠めた考えを否定するかのようにバッツは頭を振った。
いい年をした男が、夢物語を思ってしまうなどと、思わず苦笑いを零す。
本来なら言葉を交わすことはおろか、その瞳に姿を宿す事すらなかっただろう少女―――改めてそう考えると、彼女と出会えた事は奇跡に近い事なのかもしれない。
それに、現実は物語のように甘くはない。彼女は王族で、俺は旅人で…
なぁ。レナは、どう思う?この胸の奥に眠る想いを…
つまらない感情だと、笑うか?それとも―――
まじまじと少女の顔を見る。
閉じられている瞳。長い睫毛は、頬に影が差して…
「レナって、可愛いよな……って…」
ポツリと呟いてバッツは急に恥ずかしくなった。
別に誰も自分の言葉を聞いて居るわけではないのだが、恥ずかしいものは恥ずかしい。思わず歪んでしまう口元を押さえ、わざとらしく咳払いをする。
「それにしても、起きないな。疲れている…のか?」
首を傾げて再び少女の方へと視線を向ける。
全く起きる気配のないレナの愛らしい寝顔にうずうずと渦巻く悪戯心――基。好奇心。そっと柔らかな頬をちょいちょいと突いてみるが、全く起きる気配がない。
突いた反動でピンク色の髪が、さらりと頬に流れる。
「んっ…」
「―――っ!!」
冷やりと背中を走る悪寒。一瞬、彼女を起こしてしまったのだろうか?と、肩を揺らすが、肝心の彼女は擽ったそうに身を捩り、再び小さな寝息を立てている。
ホッとして、思わず深い溜息が零れた。
薄らと目を細め、今度は静かに彼女に触れる。
気づかれぬよう。そっと、静かに…一指し指の腹でふっくらとした唇をなぞる。
時々指に掛かる吐息が、熱を持っているかのように指に熱く絡みつく…
「う…ん……バッ…ツ…」
「!!」
ゼンマイが切れたおもちゃの様にギクシャクと鈍い動きをするバッツ。零れた少女の言葉を聞いた瞬間。瞬く間に顔が朱に染まった。
「レ・・ナ・・・ごめっ―――…」
言葉が出てこない。
呼吸が出来ない程に心臓が苦しい。
起こしてしまったのか?と、真っ青に顔が青ざめ、同時に罪悪感が襲う。それはそうだ。
眠っている人間に悪戯のような事など…彼女は、如何思っているのだろう。様々な彼女が脳裏に過る。困った顔。悲しそうな顔。そして、滅多に怒らない彼女の顔…
「・・・」
「・・・」
しかし、いくら待っても彼女の反応はない。
やがて再びすやすやと安らかな寝息が聞こえてきた。
「寝言か…って、え?」
かぁっと、熱が全身に回る。
べ、別に深い意味は無いよな。何て言うか…ほら、アレだ。アレ・・・・アレって何だ?いや、自分で言っておいてそれは…あ、別に期待とかそんな事を…つーか。何、動転している俺?……名前呼ばれただけだろう。……うっ、別な意味でドキドキする。
「って、そうじゃなくて…」
自分に言い聞かせるかのように言ってみるのだが、全てが言い訳に聞こえてしまう。
要らない言葉や想像が、頭に一杯一杯に思い浮かんでは消え、浮かんでは消えの繰り返しで…
頭から離れない。彼女が言葉にした自分の名前を呼ぶ声。
こくりと喉を鳴らし、青年は少女の頬に優しく触れ、ゆっくりと瞳を閉じる。
この想いを伝える事は出来なくても、
それでも、俺は―――……
この胸に宿る感情よ。如何か今だけは、この想いを……
「それ…は、肉球……」
・・・
・・・・・は?
・・・・・・・・肉・・・。
・・・・・・・・はいぃぃぃぃぃぃ?
って、どんな夢見ているんだよレナ…
一瞬のような、永遠とも思える刹那の想いは、瞬く間に消えてしまった。
そんな苦労を知って居るのか、居ないのか?レナは「ふふふ」と笑いながら眠っている。それは、それは幸せそうに…
色んな期待を膨らませ、それが一気に脱落してしまったバッツは、肩を落として項垂れた。
あ…あ。ああ。でも…
幸せそうに笑っている彼女の表情があまりに可愛くて、あまりに、嬉しそうで、
思わずふにゃりと顔を歪めてしまう。
苦しいけれど、嬉しい…よ。
そんな表情を出しているのが、夢の中の俺であるのなら…
今は辛くとも、彼女の笑顔を見てしまえば、それはそれで…まぁ、良いかと思ってしまった自分は、相当彼女に参っているのだろうな。
「ゆっくり休めよ、レナ…」
そっと呟いて、静かに優しく少女の瞼にキスを落とした。
―――この胸に宿る感情よ。如何か、今だけは静かに眠らせて…
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