心素直に~探究といたわり~永遠は、ずっと続かない。いつかは必ず終わりがやって来る。
分かっていたのに如何しても、一歩を踏み出す勇気がなかった。
その先にあるものが何かを、私はすでに知っているから…
だからせめて、甘えて居たかった。現実から逃げて、少しだけ。ほんのちょっとだけ逃げて、夢を見て居たかった。
―――でも、それはいつか終わる夢。
分かっているよ。分かっている。
そんな事、私が一番分かっている。
閉じていた瞳をゆっくりと開けば、鏡に映る白い純白のドレス姿。
左手に光るシルバーのリングが嫌に目につく。
今日レナ・シャルロット・タイクーンは、結婚する。
だがそれは、彼とのではない。何処かの国の王子だったような…
相手は見た事もない人だけど、多分…良い人だと思う。
ため息を一つついて、レナは目を伏せた。
胸の奥がずんと重くなるのを感じたが、きっとこれは緊張…からだろう。
世界が平和になり、国もようやく落ち着きを取り戻した次は、王女の結婚の話だった。
結婚の話が舞い込んできた時。レナの脳裏を過ったのは、彼の存在だったのだが、どこかでそれを否定する自分も居た。
彼は風のような人だ。掴めなく、縛られるのを嫌う。それを自分の世界に閉じ込めてしまうなど、出来る筈もない。
いや、それ以前に彼の気持ちは自分にはないだろう。
彼が思って居る“大切”は、自分が想って居る”大切”とは違うものなのだから…
―――夢見る時間は、終わりにしよう。
そう思い。王子と少しだけ会う約束だけをしたのだが、あっという間に話はとんとん拍子に進んでしまい。今に至る。だからと言って、断るにも断れない政略的な結婚でもなかった。半分は、自分の意思でこの結婚を望んだのも確かだ。
「(これで、良いのよ…ね)」
胸に手を押し当て、自分に言い聞かせる。唇を引き結び、鏡の前で笑顔を作る。
そうでもしないと、心が潰れてしまいそうだった。
「(大丈夫…)」
彼はきっと祝福してくれるに違いない。「幸せになれよ」と、笑顔で言ってくれるに違いない。仲間として、親愛なる友として、祝福してくれるに違いない。
例え“特別”になれなくても、仲間と言う”特別”な存在のままで良い。
もし自分の気持ちを伝えてしまえば、きっとその関係が壊れてしまう。それがとても辛い。辛くて、怖い。
だから、それ以上を望むのは欲張りと言うものだ。
「浮かねぇ顔」
祝福ではない正反対の言葉を言われたレナが、顔を上げる。声がした方へと視線を向ければ、機嫌が悪そうな姉の姿が瞳に映る。
美しいドレス姿だが、その表情はとても不機嫌だ。もし笑顔の一つでも向ければ、絵画のように美しい姿に違いないのだが…
「そんな事…ないわ」
儚く微笑むとレナは、極力自分を出さないように小さく呟いた。
今、彼女と言葉を交わせば、本当の言葉が出てしまうそうで正直怖い。
「本当は結婚なんか、したくないくせに…」
「・・・」
レナは視線を鏡に戻し無言になる。何も言えない。言葉が出てこない。
この結婚は嬉しい筈なのに、本当の事を言われてしまい。言葉に詰まってしまった。
「っ―――、私…は」
痛い位に両手を握りしめる。
姉に聞こえてしまうのではないかと言う位に、心臓の音が五月蠅い。
瞳を閉じ、込み上げる何かを懸命に耐える。
分かって…いるよ。でも、言えないの。言ってしまえば、全部が終わってしまう。壊れてしまう。
逃げているだけだと言う事は、十分に分かっている。
如何すれば良いのだと言うのだろう。
何が一番最善で、正解だと言うのだろう…
薄っすらと涙が滲んだ。ファリスに気づかれたくなくレナは小さく呟く。
「ごめんなさい。今は、一人にして…」
小さな声で呟いたレナに、ファリスの目が細められた。
一瞬。言葉を詰まらせるが、息をついてしっかりとした瞳でレナを見据えた。
「レナ、心に正直になれよ」
レナに気づかれないよう微笑んだファリスは、彼女の心を理解してか?あっさりと「じゃぁな」とだけ言い、その場を去っていく。
何かを試すような物言いに気づく事無く、レナは鏡の前の自分を見つめた。
翡翠の瞳の奥に滲んだ涙―――酷い顔だ。これが結婚をする前の表情だろうか。
心を正直に…か。
心の奥でその言葉を笑うが、同時に重く伸し掛かる言葉でもあった。
今更それを聞かされても、正直になったとしても、もう何もかも遅い。遅いのだ。
一粒の涙が頬を伝った時だった。
コツン…
コツン……
と―――、何かが鈍くぶつかる音が、部屋に響く。
自然現象ではない“それ”に、何かを感じたレナが音がする方へと歩を進めた。
窓を開けると下の方から聞きなれた声がする。
「レナーーー」
思わぬ人物にギョッとしたレナは、もう一度確かめる為に、その人物を大きな瞳で見つめる。
見間違いではない。軽快に手を振っているのは、癖のある茶色い髪に、空を映した瞳をした青年の……
「バ…ッツ?」
如何して彼がここに?
ああ、そうだ。呼んだのは自分だ。
でも、まだ式には早いし、何より控室に呼んだ覚えはない。
では、何故ここに居るのだろう?
「如何したの?」と、レナが聞こうとしたその時―――彼は突拍子もない言葉を口にした。
「早く、逃げるんだろう?」
「えっ、逃げ…る?」
思わぬ言葉に、何度も瞬きを繰り返し、レナは首を傾げる。
言っている意味が理解できない。分からない。
にげ…る?
何を、言っているのだろう彼は。逃げるって…言ったのよ…ね?
「如何して、逃げる…の?」
「分かったんだ。俺、だから…」
「ええっと…」
彼の返答に如何答えて良いのか分からないレナは、困ったかのように眉を寄せた。
答えになっているようで、なっていないような……
キョトンとした表情で、彼を見た。何を言っているのだろう?今一つ、意味が分からない。会話が通じていない。かみ合っていない。
「バッツ?ちょっと待って。だって…」
だって…
私、結婚するのよ?の、言葉を飲み込んでしまった。
混乱して居る自分を落ち着かせる為、息をついた。
兎に角。落ち着かなければ…
今、目の前の彼は手を伸ばしている。多分。事の重大さなど、分かっていないだろう。
確か彼もこの結婚式に招待した。そして、来ると返事をしてくれた。
だからこそ、落胆した自分が居た。ああ、来てれるのだと…。
本当は来てほしくなかった。祝福しないでほしかった、心が……揺らいでしまうから。痛みを覚えてしまうから…
だから、この気持ちを伝える事無く、大切な仲間のままで居たかった。
夢を終わりにしないと…と、レナは心に蓋をした。
「祝福、してくれた筈…よね?」
彼に聞こえないように呟いて、レナは再び首を傾げる。
祝福してくれた筈の彼が―――逃げるって……?
ああ、それより何より。
あの手を取る?取らない?
「っ―――!!」
と、脳裏に過るあの言葉。
まさか…まさか。この事だったのだろうか?姉が言ったあの言葉の意味は…
あの時。含んだ笑いをこぼしていた理由は…
ようやく理解出来たレナは、胸の奥から一気に何かが込み上げた。
―――心に正直になる。
「(ああああああっっ!もう~~。姉さんっっ……)」
心の中で悶絶したレナは、恥じらいから顔を真っ赤にした。
知って居たのだ姉は。自分の本当の心を、
自分が、彼を好きな事を…
ゆっくりと息を吸い込んで吐き出す―――
「バッツ…」
「へ?」
今まで黙って居たレナが急に名を呼んだものだから、驚きから思わず間の抜けた返事をしてしまったバッツ。そして、行き成りの彼女の行動に、二重に驚いた。
白いドレスをまとった彼女が、飛び降りてきて―――…
「わーー、レナっっ!?」
叫び声を上げながらも、細い腰をしっかりと支え、バッツはレナを受け止めた。
慌てふためくバッツを知ってか知らずか?レナは彼の背に腕を回し、頭を胸に預けた。
―――心を素直に……
「あのね、バッツ。私―――…」
小さく呟いた少女の言葉に、男は「うん」と、大きく頷いた。
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